結婚

6月2日善巧寺本堂にて第22代住職の結婚式を執り行うことになりました。恥ずかしい話ですが、これが5年前の話だとしたら、おそらく式はひっそりと京都あたりで行い、披露宴も勘弁してくださいと断っていたように思います。お寺に帰り着き、ご門徒さんとの繋がりも徐々に感じ始めて、ようやく今「結婚します。一緒に祝ってください」と言えるようになりました。

思い返してみると、住職継職の時は、まさに借りてきた猫の状態で、個人的な想いを全く求められない状況に「ぼくである必要があるのか」と思い悩んでいました。今思えばワガママとしか言いようがありませんが、個性が謳われ、自分という意識を強く感じながら育ったぼくの世代ならではの想いです。

親鸞聖人は、弾圧を覚悟の上で僧侶として初めて公式に結婚された方でした。多くの僧侶から罵られ、お国からの罰を受ける覚悟は想像を絶します。現にお仲間には死刑を受けた方もおられるわけで、ぼくなら黙ってコッソリと伴侶をつくっていたに違いありません。

その覚悟を支えていた力は何だったのか?それはやはり、いつも真ん中に仏さまがおられたのでしょう。仏さまを大切にすることを中心に、それを妨げることはなるべく避け、光りのあることは例えイバラの道であっても進んで行う。考えてみると、これほどスッキリとした生き方はなく、憧れの諸先輩方の共通点はこの芯でした。諸行は無常の世の中で、絶対に変わらない芯。なにが1番大切かということを見失わないように歩みたいものです。

(寺報123号)